スケジュール帳がビッシリ?「忙しいが美徳」は大間違い。人間の器量は「暇の使い方」で決まる【大竹稽】
大竹稽「脱力の哲学」6 〜暇こそ本番〜
■「暇の使い方」にその人間の本性が出る
「暇」の大切さを教えるのは、日本語に限ったことではありません。「暇」を英訳すると « leisure »です。この単語は、フランス語の« loisir »に由来します。どちらの単語にも、「自由な時間 « le temps libre » « free time » 」という意味が出てきます。「自由な時間」の対義語が、「予定が定められた時間」。ということは、日々の仕事から解放されている時間が「暇」なのです。ラテン語まで遡れば、« leisure »も« loisir »も、「許されている « licere »に辿りつきます。「許されている」に、秘訣がありそうですね。いったい、なにが許されているのでしょう?
予定が埋め尽くされている現代人。一秒の隙間もなく暮らしています。最も気の毒に感じてしまうのは、中学受験を控えた小学生たちのスケジュールです。彼らの日々は、毎刻、時間に縛られているようです。「そんなに慌ててどこ行くの?」なんて、もはや彼らには通用しません。しかし、子どもたちは決して、自ら時間に追われようと望んだわけではありません。そのようにさせているのは大人たち。つい先日まで子どもだった大人たちも、既に大人の一部です。「仕事があるから暇がない」なんて、思い込みです。暇は作れます。しのごの言わずに、暇を作りましょう。なぜなら、暇の中でこそ、自由な集中ができるからです。暇の使い方で、その人間が本物かどうか、見分けられるのです。
「暇が大事!」
さてここで、再び「最も偉大で人間的な哲学者」アランに登場してもらいましょう。アランは「暇」を誤解し、毛嫌いする人たちをこのように戒めています。
「宇宙全体を一瞬から一瞬へと動かしている泰然自若の時間など、押さない方がいい」
「時間を押そうとする」ことは、一分一秒の遅れも許されていない心理を表しています。成果を出すために、一秒を争って他人より先に到着しようとする。そんな仕事や勉強の姿勢は、真剣に見えますが、そうではありません。一見、真剣に見えますが、「必死」と言ったほうが適当でしょう。決して立ち止まることは許されません。
まさに、命がけ。個人に備わっているストレスメーターは、もはや振り切れる寸前です。これは心身へ異常な負担をかけている反動的な行為です。